15周年特別コラム
1. 文化庁メディア芸術祭のはじまりと飛躍
文化庁メディア芸術祭のはじまり
1997年に誕生した「文化庁メディア芸術祭」は、回数を重ねるごとに様々な展開を続けてきました。2011年に15周年を迎えるにあたり、その変遷を振り返り、節目となった出来事、関連する背景などをご紹介します。
文化庁メディア芸術祭が始まったのは1997年。同年7月1日に募集要項が発表されました。部門構成はデジタルアート[インタラクティブ]、デジタルアート[ノンインタラクティブ]、アニメーション、マンガの4部門でした。審査委員会は部門ごとではなく、デジタルアートの2部門と、アニメーションとマンガ部門を担当する2つの区分けでスタートしています。初年度の応募作品は総計730点。審査を経て決定した受賞作品には、近森基の『KAGE』(デジタルアート[インタラクティブ部門]大賞)、宮崎駿監督の『もののけ姫』(アニメーション部門大賞)など、いまなお色あせない作品が並びます。プロ・アマチュア、個人作品・商業作品等を区別せず作品本位で選ばれる文化庁メディア芸術祭の特徴は第1回目にも強く出ています。翌98年2月には受賞作品展が開催。新国立劇場の小劇場を用いた展示は、上映系と展示系が会場をちょうど半分ずつ使う構成でした。2日間の会期に2,173人が来場。「メディア芸術の将来像についてのシンポジウム」も開催されました。


開催の契機となったのは、1996年から1年間かけて開催された文化政策推進会議「マルチメディア映像・音響芸術懇談会」にあります。アニメーション監督の大友克洋、マンガ家の里中満智子、メディアアーティストの藤幡正樹、CGアーティストの河口洋一郎など多ジャンルからの識者が参加。同懇談会は報告書「21世紀に向けた新しいメディア芸術の振興について」を文化庁長官に提出しました。そこでの提言「創造性豊かな人材の育成・発表の場の提供」が、文化庁メディア芸術祭の誕生へとつながったのです。
なお、この時期には、個人で扱えるパーソナルコンピュータやビデオカメラが登場し、後に迎えるテクノロジーを用いた表現の隆盛に大きな役割を果たします。インターネットが個人にも開かれ、この傾向は加速しました。また、家庭用ゲーム機の普及とこれに伴うゲーム文化の目覚ましい発展、そして、日本発のアニメーションやゲームが、国際的に評価を飛躍させます。テクノロジーの進化とクリエイターやアーティスト達の活動が密接に関わり合いながら、新しい文化の波が、はっきりと形を帯びていく時期でもありました。
なお、この時期にはテクノロジーと文化を扱う学術・芸術機関が数多く誕生しています。海外ではMITメディアラボ(1989)、アルス・エレクトロニカ・センター(1996)、ZKM(カールスルーエ・アート・アンド・メディア・センター)(1997)などが挙げられます。日本ではキャノンアートラボ(1991)、ICC(NTTインターコミュニケーション・センター)(1997)が設立されています。
企画展を同時開催
1999年の第2回では、デジタルアート[ノンインタラクティブ]部門でCGアニメーション『ハッスル!!とき玉くん』(森本晃司)が、マンガ部門では『坂本龍馬』(黒鉄ヒロシ)が大賞を獲得するなど、各々の表現形式を活かしながらも新たな可能性を示した作品が目立ちます。そして、2000年の第3回において文化庁メディア芸術祭の入場者は初めて1万人を超えます(12,597人)。この回の大きな特徴のひとつは、受賞作品展と併催された企画展シリーズ「Jam3」(ジャムキューブ:Japanese Art, Manga and Media Mixed)でした。アートからエンターテインメント領域までを幅広く対象としている文化庁メディア芸術祭のコンセプトを、国内外に伝えていくべく、受賞作品展に加えてメッセージ性のある展示が試みられたのです。
その第一弾が「Robot-ism 1950-2000~鉄腕アトムからAIBOまで~」と題した企画展でした。メディア芸術の特徴であるアート、エンターテインメント、テクノロジーを横断出来る企画を、との方針から選ばれたのがこの「ロボット」。マンガやアニメーションでは世代を越えて親しまれ、かつこの時期にはソニーのAIBO(同年のデジタルアート[インタラクティブ]部門大賞作品)ほか、実際の技術開発でも話題を集めるものが多く登場していた背景もあります。

内容はタイトル通り、半世紀にわたるロボット関連の表現史を網羅するものでした。村上隆らのアート作品や、海洋堂の精巧なフィギュア、さらにホンダの2足歩行ロボットP3などが並ぶ「Robot-ism Park」、そして往年のロボット・アニメーションが一堂に会する「Robot-ism Museum」。さらに一夜限りのパフォーマンス「RoboMix」では、DJにケン・イシイを迎え、『鉄腕アトム』や『機動戦士ガンダム』をフィーチャーした原田大三郎の斬新なVJ映像との競演がなされました。
技術展、アート展、アニメーション展を統合したようなこの試みは、以降も議論が続く「メディア芸術」のひとつの可能性を提示したともいえます。なおこの際の会場が、やはりジャンルを超えた創造活動の伝統と革新の場であった草月会館だったことも付しておきます。また、この第3回においては、海外からも70点の応募があり、以降進む国際化の第一歩ともなりました。アニメーション部門では、Alexander PETROVによる『老人と海』が大賞を獲得し、その後アカデミー賞を受賞しています。
バーチャルタレント公募展
第4回からは、東京都写真美術館が会場となりました。21世紀を迎えての初開催となったこの回では、アニメーション部門で『BLOOD OF THE LAST VAMPIRE』(北久保弘之監督)が、マンガ部門で『バガボンド』(井上雄彦)が大賞を獲得しました。この受賞作品展と同時開催されたのが、キャラクターをキーワードに、アート、テクノロジー、エンターテインメントの要素を複合させた催し「CHARAMIX.com」です。会期中に2日間、恵比寿のザ・ガーデンホールで開催されました。。特に話題を呼んだのは、当時まだ現在ほど馴染みのなかった世界に注目した、コンテスト企画「バーチャルタレント・オーディション2001」の最終審査でした。

©モンキー・パンチ / e-frontier, Inc. / Blue Moon Studio Inc. / CG-ARTS協会
これは前年秋からWebサイトと連携して進められた公募企画で、その最終審査が公開オーディションの形で文化庁メディア芸術祭に登場したのです。総数526の応募作品から選出された42作品が上映され、審査委員(伊東順二、ケン・イシイ、見城徹、ジョン・C・ジェイ、高城剛、タナカノリユキ、モンキー・パンチなど各界から79名)の投票でグランプリが決定されました。仮想タレント的な存在の創造においては、今日ではバーチャルアイドルやボーカロイド、またこれらが融合したコンサートなどさまざまな発展がみられますが、この企画はその動きに先鞭を付けた実験的試みともいえます。 回を追うごとに応募作品が充実し、フェスティバルの反響も増え、かつ企画展の開催が親しみ易さやメッセージ性、そして話題性を提供することで、文化庁メディア芸術祭は初期の大きな飛躍を遂げました。