今年度のフェスティバルへ

マンガ部門

部門トップに戻る

審査講評

どこまで広がっても原点をわすれない

みなもと 太郎

漫画家/マンガ研究家

毎年同じことを書いても気がひけるので一言で済ませるが、マンガの国際化、多様化、デジタル化はますます広がっており、その勢いは留まることを知らないように思える。以上(笑)。さて私が最近2人の人から窺った話がある。一人は松竹歌舞伎の常務取締役Y氏。本年6月、拙作のマンガが歌舞伎化されることになった関係でお会いしたのだが、なんとその6月には京都の南座でも人気マンガ『NARUTO-ナルト-』の歌舞伎版が上演されるという。「すると歌舞伎座、南座の両方でマンガ原作が舞台に?そんなことって......」と訝る私にY氏は「いやいや、もう不思議でも珍しくもありません。歌舞伎も映画も、テレビドラマも演劇も文学も、あらゆる表現芸術は今やマンガが供給源になっています。『マンガがなければ困る』時代になっているのです」とおっしゃったので私は「うーん」と唸った。なにしろ振り返ってみれば、私がマンガ家を志したほんの半世紀ちょっと前には、マンガはそれらすべての表現芸術の最底辺にあり、そっぽを向かれるか小馬鹿にされるかのどちらかであった。そんな時代を私は実感で知っているのだ。こんな短期間にそこまで発展伸張したジャンルはあるだろうかと、私は空恐ろしさすら感じる。もうひとつは、あるマンガ家N氏のトークイベントでの話だが、N氏は某少年週刊誌で一時期活躍したものの、あまりのネームチェック、人気競争の商業主義に疑問を持ち「我々が本来持っていた、マンガを描く楽しみ、喜びは何なのか。マンガは大出版社の金儲けのために存在しているのではないはずだ」と決意。以後商業誌に描くのをやめ、同人誌作家として作品を描き続けているという。氏の姿勢には私も大いに頷けるものがあり、会場で心からの拍手を送った。たしかに、マンGあがどれほど発展変貌し続けていこうとも、その一作一作にはN氏のような純朴な創作意欲が原点となっているはずであり、それらの集大成、結果として目をみはるような「マンガ世界の花園」が出現しているのだと思いたい。当「文化庁メディア芸術祭マンガ部門」は商業誌作品だけでなく、個人誌、同人誌作家からの応募も受け入れている点が非常に好ましく、今回の優秀賞のひとつ齋藤なずな『夕暮れへ』、新人賞を受賞したひとりである黄島点心による『黄色い円盤』などはメジャー志向とは正反対の良心作と怪作であった。順序が狂ったが大賞のBoichi『ORIGIN』は近未来ロボットSFの王道的作品で画力も高く、審査委員ほぼ全員の支持を受けすんなり大賞に決まった。私個人の感想としては「新時代の鉄腕アトム」と捉えている。優秀賞『宇宙戦艦ティラミス』も画力の高いSFだが、内容は「アホ丸出し脱力ギャグ」で、にもかかわらず高得点を集め、推薦した審査委員がかえって驚くという、ギャグにふさわしい珍現象が起きた。『百と卍』はある意味最も問題作で、詳しくは私が「贈賞理由」を述べているので略すが「こういう作品こそを認知、評価すべき時代が来た」ということである。コナリミサト『凪のお暇』は対人関係で「空気を読みすぎてしまう」若い主人公、凪の孤独感と辛さに、等身大で深く寄り添った秀逸作品。凪の成長を見守りたい。また、新人賞の鶴谷香央理『メタモルフォーゼの縁側』。今や大きな問題となっている「世代間の断絶」を防いでいるひとつに「世代を越え、親子で読み継がれ愛されているマンガ」があるのは紛れもない事実で、ここにもマンガの素晴らしさを感じる。マドモワゼル・カロリーヌによる『見えない違い̶私はアスペルガー』は、第三者に理解し辛い、されにくい非常に微妙な「アスペルガー症候群」を身近に感じさせてくれてありがたく思う。推薦作品では、塩川桐子『ワカダンナ』、恵三朗『フラジャイル病理医岸京一郎の所見』、panpanya『二匹目の金魚』、北駒生『火色の文楽』、石川ローズ『あをによし、それもよし』などが心に残る作品だった。

プロフィール

みなもと 太郎

MINAMOTO Taro

漫画家/マンガ研究家

1947年、京都府生まれ。67年、デビュー。ギャグとシリアスが混在した作風で人気を博す。2004年、歴史マンガの新境地開拓とマンガ文化への貢献により、第8回手塚治虫文化賞特別賞受賞。平成22年度[第14回]メディア芸術祭優秀賞受賞。代表作に『風雲児たち』シリーズ、『ホモホモ7』『挑戦者たち』のほか、『ドン・キホーテ』『レ・ミゼラブル』などの世界名作シリーズがある。

( 2017 )

部門トップに戻る