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原 恵一 インタビュー

原 恵一

2004年

『ドラえもん』『エスパー魔美』『クレヨンしんちゃん』など、数々の人気アニメの演出を手がけ、近年では映画『クレヨンしんちゃん オトナ帝国の逆襲』『クレヨンしんちゃん 戦国大合戦』で“大人が楽むアニメ”という新たな市場を生み出した原恵一監督。彼は「しんちゃん」という特異なキャラクターを生かし、いかにして独特のアニメワールドを構築してきたのだろうか。

制約から生まれるもの

「子供を笑わせたりする気はあまりないんです」
「ギャグなんて本当は入れたくないんですよ」
「でっち上げみたいなもんですね、いつも」
「デジタルはインチキで人を増やせるから便利ですね」

長年、子供たちに大人気のアニメ作品を手がけていながら、こんなことを公言してしまう。それが原恵一という監督の魅力なのかもしれない。“ジャパニメーション”という言葉が世界で一人歩きする中、最新のCG技術を駆使するわけでもなく、斬新な映像表現を追求するわけでもない。彼の演出するアニメワールドは、爆発シーンやワイヤーアクションばかりに大金をつぎ込む近年のハリウッド映画や、CG満載のアニメへのアンチテーゼかと思わせるほどにシンプルだ。だがそこにこそ、彼のアニメ監督としての職人気質が垣間見られる。シンプルでありながら軸のぶれないテーマ、小気味よい台詞回し、メリハリの効いた「静」と「動」の巧みな演出。原監督の作品に出会ったとき、我々はふと、アニメというエンターテインメントの原点を思い返さずにはいられない。

もともと僕は、幼い頃から『アラビアのロレンス』や『チコと鮫』といった、ゆったりとした情景を描いた古い映画が好きなんです。だから本来、僕の作る作品はテンポがあまりよくなくて、静的でゆるゆるな感じなんですよ。そうするとメリハリがなくなっちゃうから、絵コンテの段階でかなり落とさなくちゃいけない。それでいつも苦労しますね。時間のない中で、『ギャグなんて本当は入れたくないんだよ、オレは』って言いながらやってます(笑)。ただ、そういう制約の中でこそ知恵を絞るわけで、追いつめられるから新しい発見がある。そこで自分が想像もしていなかったものが生まれたりするんですよね。好き勝手やっていいと言われて面白いものが作れるかと言ったら、やっぱり自信ありませんから(笑)。正式にはまだ決まってませんが、実は今、童話を基にした劇場用アニメを企画中なんです。これは僕自身が長年温めてきた構想ですが、『クレヨンしんちゃん』のような制約もあまりないので、それがかえって戸惑いでもあるんですよね。自分が好きなものが100%反映されたからって、面白くなるわけじゃないことは、わかっているつもりなので。

大人を引き込んだ世界観

「冷や冷や」「時間がない」「苦し紛れ」……そんな言葉を口にする時の原監督の表情は、まるでその苦境を楽しんでいるようでもある。やがて彼は、『オトナ帝国の逆襲』で、子供向けアニメの世界に“大人の楽しみ”を注入することで、かつてなかった苦境を体験をする。それは、子供向けアニメにとっては冒険を越え、もはや暴走ともいえる決断だった。原監督はいかにしてそこまでのリスクを冒し、自分の世界観を子供向けアニメに託したのだろうか。

『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』

言うまでもありませんが『クレヨンしんちゃん』は、やはり原作の臼井(儀人)さんが描いたものが、いちばん面白いんですよ。それだけは変わらない。だから、僕がいつも考えるのは、“しんちゃん”というキャラクターで、自分のネタをいかに生かしていくかということです。他人のふんどしで相撲をとっている気分ですよ(笑)。

『オトナ帝国の逆襲』は、自分でもまったく想像していなかった展開になったので、最後までどうなるか見えず、本当に冷や冷やでした。反対意見も多くありましたし、題材になっている大阪万国博なんて若い人には馴染みが薄い。ましてや子供にはチンプンカンプンでしょう。ただ、自分で作りたいものが山ほどあるというタイプではないので、どうしても日常の願望が反映されてしまいますね。だから舞台設定は、南の島とか、温泉とか、70年代とか、戦国時代とか、みんなただ自分で行ってみたいところになっちゃってます(笑)。

ネタは、僕の勝手な妄想から苦し紛れに出てきたものなので、それを現実に作品として仕上げていかなければいけない。それで毎回、絵コンテを描いて、いい加減な妄想を修正していくんです。現場のみんなを納得させる作業が絵コンテですから。そこでいつも苦しい思いをするんです。だから作品が出来上がった時はいつも命拾いをした気分です。『オトナ帝国の逆襲』はとても苦労した作品ですが、おかげで自分が監督した中ではいちばんヒットしたし、人間って追いつめられたほうがいいんだなって思いました(笑)」。

日本アニメの行方

こうして、大いなる冒険とも思われた『オトナ帝国の逆襲』は、子供はもちろん、大人も楽しめる世界観を打ち出し、観客層を大きく広げた。ただ、それは大人の琴線に触れるテーマだったことだけが理由ではない。『オトナ帝国の逆襲』に限らず、原監督の手がけてきた『クレヨンしんちゃん』シリーズは、世代だけでなく、国境の壁をも越えて人気を得ている。彼自身は、今日、海外で高い評価を得る日本のアニメの行方をどのように捉えているのだろうか。

『クレヨンしんちゃん 戦国大合戦』

日本のアニメの将来を楽観視している人は少ないと思います。海外で評価されているアニメといってもごく一部にすぎませんし、ひどいアニメも多いんです。あと、現場で若い人が育っていないということをよく耳にします。僕が若い頃にアニメや映画を観て、この業界に憧れて入ったように、今のアニメや映画には若い人たちを惹きつけるパワーがなくなってきてるのかもしれません。それはぼくたち現場の人間が、いい作品をたくさん作るしかないかと思うんですよね。

制作現場でも、日本のアニメはすでに韓国のスタジオなくしては成り立たない状況になっています。ただ、韓国アニメの脅威が叫ばれているものの、僕自身は何も心配していません。僕は日本人にしか作れないものを作っているつもりですので。だから日本のアニメ界もそんなにオタオタすることはないと思うんです。逆に韓国アニメが伸びてきた時に、それを真似するようであればダメになるでしょうね。もっと自信をもって、日本人にしか作れないものを作ればいいと思いますよ。

日常に潜む普遍的テーマ

日本人にしか作れないもの——それは単に、昔のアニメや映画へのノスタルジーではない。CGや爆発といったこけおどしに踊らされない、エンターテインメントとしてのアニメや映画がもつ本来の面白さの探求である。原監督の紡ぎ出す作品は、まるで小津安二郎のミニマリズムと、黒澤明のダイナミズムを同時に取り入れたような、かつて日本映画が全盛を謳歌していた時代を想起させる。そして、それは同時に世代や国境を越え、だれもが心に抱える普遍的テーマに根ざしていることをも意味する。たとえば『クレヨンしんちゃん』には、“家族愛”という一貫したテーマが根底に流れる。『クレヨンしんちゃん』で描かれるのはいつも、極限状態で貫かれる“家族愛”だ。

『クレヨンしんちゃん』は、子供への悪影響について批判の声がありますが、僕たちは下品なことを見せたくてやってるわけではありません。しんちゃんは、どの家庭にもあるような子供たちの日常を見せているだけなんです。

しんちゃんが、どんな下品な言葉を使おうとも、母親を「みさえ」と呼ぼうとも、しんちゃんは家族にとってかけがえのない存在であるし、家族なくしてしんちゃんの存在もありえない。
『オトナ帝国の逆襲』に、こんなシーンがある。
70年代を懐かしむあまり、現実逃避をしてしまった父のひろしが我を取り戻す時に回想する一場面だ。仕事で靴がすり切れるまで街を歩き続け、家に戻ると家族には臭い足をからかわれる……そんな典型的サラリーマンの繰り返しの日々。正気を取り戻したひろしは、この退屈な日常を取り戻そうと、命をかけて戦う。そして、しんちゃんは、自分たちの街を取り戻そうと、両親を守ろうと、敵(悪者)が待ち受ける鉄塔の頂上を目指してひたすら走って走って駆け上る。息を切らしながら必死の形相で走り続けるしんちゃん。どんな困難に遭遇してもいつもクールなしんちゃんが、両親と一緒に戦うべく、汗を流しながら無我夢中に走り続ける…。
原監督は極限状態に追い込まれた時の、人が生み出す力を信じている。だから、自分を追い込むことを厭わない。

子供を笑わせたりする気はあまりないんです。

そんな言葉の裏には、「アニメを楽しむのに子供も大人もない」という思いが込められているに違いない。原恵一というアニメ界の“職人”が作り出す作品に、観客は笑い、泣き、心温まり、幸福感に包まれながら劇場を後にするのだから。この気持ちに、子供だから、大人だから、ということは関係ないのだ。(終)

写真:坂本 道浩

プロフィール

原 恵一

HARA Keiichi

日本

1959年生まれ。PR映画の制作会社を経て、シンエイ動画に入社。劇場映画『クレヨンしんちゃん 暗黒タマタマ大追跡』(1997年)から、映画クレヨンしんちゃんシリーズの脚本・監督、テレビ『クレヨンしんちゃん』の監督を務める。

( 2004 )