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受賞者インタビュー
トーチカ篇

トーチカ(ナガタタケシ+モンノカヅエ)

2009年

若手アーティストをフィーチャーする企画「Next Ages」。今回は、第10回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞、第11回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門審査委員会推薦作品の『ピカピカ』の作者である、トーチカのモンノカズエさんとナガタタケシさんのおふたりに、アーティストになったキッカケや作品づくりで苦労していること、文化庁メディア芸術祭にて受賞した感想などをお聞きしました。

まず、アートの道に進もうと思ったキッカケから教えてください。

モンノ: 実は、私たち特にアートをやっているという感覚はないんです。ふたりとも京都造形芸術大学という学校で学んだのですが、気がついたらいまの状態になっていたというか。

ナガタ:僕は、中学高校の頃からプログラムをやっていて、あとはビデオカメラで撮影したり。そういったつくること自体は身近だったんです。大学での専攻は映像だったんですけれども、きちんと美術の勉強をせずに美大に入ってしまったので、大変でした。

モンノ:私は表現者になりたいなぁと漠然と思ってて。画家とか気楽そうで、好きなことやって食べていけていいなぁと、高校の頃は思っていました。(笑)

ふたりは学校では同じ学科だったんですか?

モンノ:違うんですよ。私は油絵学科で。

ナガタ:僕は映像の学科でした。

モンノ:油絵など絵画を書いていたんですけれども、この画が動いたらおもしろいなと欲が出てきたんです。でもその方法がわからなかったので、映像のサークルに入りました。油絵をアニメーションにしようと企んでいたんです。

ナガタ:どちらかというと僕は技術馬鹿なんです。絵を書くのは好きなのですが、美術的センスでいえば、(モンノ)カズエのほうが遥かに上だなと。それで、お互いのニーズがマッチしたので、一緒にやろうということになりました。

何か文化祭やコンペなど特別な目的があったのですか?

モンノ:別になかったです。学生のときは、常に何かやりたいと思っていました。どんなジャンルのことにも興味があったので、とにかくすべて試していましたね。

いまでも、学生で始めたときとおふたりの役割は同じですか?

モンノ・ナガタ:基本的には同じです。

モンノ:でも最近はスケジューリングやマネージメントを私が担当して、プロデュース的な仕事は、(ナガタ)タケシ君がメインでやることが多いかな。

ナガタ:お互い、得意な部分を担当して補いあってる感じですかね。

ふたりの意見があわなくてケンカすることはありますか?

モンノ:昔はよくあったよね。意見が合わなくってすっごいケンカして、ずっと完成しない。20代前半は制作の途中でケンカして、最後まで完成できなかった作品がたくさんあるね。(笑)

そんなときはどうしてるんですか?

ナガタ:第三者に入ってもらって、みんなの意見をもらいながら進めていくと、意外とまとまるということにだんだん気がついてきて。なので、いまはふたりの間に何人か入れてチームを大きくして、作品をつくることが多いですね。僕らの作品のつくり方って、コツコツつくるというのはちょっと違って、まわりを巻き込んでいくんです。まわりが楽しんでるという風景をつくることが僕らの仕事だと思っています。

大学を卒業してから、おふたりとも就職されたんですよね。

モンノ:私はフリーランスでPVのイラストを描いたり、舞台セット用の画をつくったりしてました。

ナガタ:卒業後は映像制作会社に就職しました。アニメーションのディレクションやCGをつくったりしていました。

当時の仕事以外の活動は?

ナガタ:学生の頃からふたりで自主的に作品づくりをしていたものを、MTVの若手アーティストが作品を紹介するコーナーで使ってもらえて。僕たちはここ出身なんです。

なるほど、ほかのコンペなどには応募しましたか?

ナガタ:はい、出していました。MTVのプロデューサーの方がほかのコンペに出してくれて、それで、ほかのアニメーションフェスティバルに出すキッカケができたんです。

モンノ:そのおかげで、アヌシー(国際アニメーション映画祭)をはじめ、世界のアニメーションのレベルを知ることになり、全然力が足りないとわかったんです。アヌシーに行ったことで、こういうショートフィルムをつくりたいという目標ができました。

ナガタ:これをキッカケにいろんな映画祭に応募しだしましたね。映画祭に通れば道が開けるんじゃないかと思って。20代前半の当時はコマドリのアニメーションとかCGとかをつくっていたんですけれども……

モンノ:限界を感じてきたんだよね。

どうしてですか?

モンノ:25歳ぐらいまでは賞をとろうと思ってつくっていたんですよ。それと同時に、仕事もしていました。やっぱり仕事をしながらだと忙しくて自主制作の時間がなくなってって。そうすると着想から完成まですごく時間がかかって、もう作品ができあがる頃には自分たちが考えたアイデアが古くなっていた。

ナガタ:時代の変化も激しかったですしね。

モンノ:仕事も楽しかったし。やっぱり目の前にあるものが第一優先になるじゃないですか。仕事は結構自由にやらせてもらえていたので、自分の制作欲、表現欲も満たされていたし、だんだんこれでいいのかもと思ってきて…。

仕事をしながらアヌシーなどのコンペに応募するために、何か工夫していたことはありますか?

ナガタ:自主制作の時間をつくろうとしていたんですけれども、結局うまくいかなかったですね。会社でオリジナルコンテンツをつくるということも試してみたのですが、なかなかそれも難しくて。 実は、一時期、仕事で同時に10タイトルも抱えていたことがあるんです。それでパンク状態に。最終的には、血を吐いて倒れてしまったんです。

大変ですね。それが25~28歳ぐらいですか?

ナガタ:そうです。それで、このままの状態を続けていくのはまずいなと思って、だんだん会社の仕事を減らしていったんです。そうして、フリーで自分の仕事を受け始めた。フリーになったからといって忙しさが変わるわけじゃないんですが、時間の使い方は変わっていったかなぁ。mixiでショートフィルムのコミュニティをつくって人を集めたり、つくる人同士で集まったり。でも、貧乏暇なしというか、忙しかったけれども、お金がなかった。フリーランスだと設備投資にお金が掛かるので、自由に使えるお金があんまりないんですよ。

モンノ:飲み代をつくるのもやっとで。だから、よく夜公園で遊んでたんです。そうしているうちに、『ピカピカ』の原型となるものができた。

『ピカピカ』は仕事以外のネットワークでできたものなんですね。

モンノ:作品をつくろうと思ってつくったものじゃないんです。始まりは、自分たちで楽しみたいと思っていて。実はその頃は、作品づくりはもう無理かなとあきらめていたところもあったんです。フリーランスでしているイラストの仕事に満足していたし、それで一生暮らすのもいいかなと。

遊びの一環だったと。

モンノ:当時はまだYouTubeが登場する前だったんですけれど、『ピカピカ』の元となった映像を動画サイトにあげてみんなで共有してました。ほかにも、友だちつながりの映画祭などで流してもらっていて。そうしたらみんながおもしろいって言ってくれたんです。そうしているうちに、作品が結構たまったので、編集して1本にしようということになったんですが、せっかくつくるんだったらどこかに出さないともったいないと思って、オタワ(国際アニメーションフェスティバル)やNFB(カナダ国立映画庁)などに送ってみたんです。そうしたらオタワに通ったので、びっくりしました。結局、特別賞をいただけました。なにも狙っていなかったのですが、全部が重なってうまくいった感じです。

ナガタ:卒業した当時は、いまみたいにデジカメも進化していなかったし、YouTubeもmixiもなかった。『ピカピカ』はちょうど時代にはまったんだと思います。手法自体は昔からあったものなので、自分たちもこれを作品と思ってつくっていなかったんです。でもそれがよかったのかも。

いまは制作活動だけをやっているのですか?

モンノ:まだ仕事もしています。『ピカピカ』だけじゃ食べていけないし。(笑)

ナガタ:僕もフリーランスで仕事をしたり、あとは大阪電機通信大学で講師もしています。それにトーチカの活動もあるので、忙しいですが。(笑)

金銭的なことは置いておいたとして、将来は、アート作品だけをつくっていきたいですか?

ナガタ:それは思わないですね。誤解を恐れずにいうと、いわゆるアートということにあんまり興味をもっていないのかもしれません。

モンノ:仕事も楽しいですし、続けていきたいです。それに、『ピカピカ』はみんなの楽しみとして残しておきたいという気持ちもあります。

ナガタ:仕事から学ぶことも多いし、逆に言えば、仕事をやっていないと生まれないアイデアもあるので、どっちも続けたいです。

先ほど、アヌシーに入選して、世界が広がったとおっしゃっていましたが、賞に応募する際に気をつけたことなどありますか?

ナガタ:正直、僕らはあまりお手本にならないかもしれない。なにせ、毎年いろんなところに出すんですけど、落ちる(笑)。でも、いつも人の作品をみて、なんで出さないんだろう、もったいないなと思ってはいます。

モンノ:言い方は悪いんですけれども、適当でもいいので、とりあえず出す、という姿勢は大切。コンペっていっても毎年審査員も変わるので、それに合わせる必要はないんじゃないかな。それに、コンペのためにつくってもうまくいかない。伝えたいことがあって、よくできたと感じたら自然にみんなに見せたくなるでしょ?

トーチカは2006年の文化庁メディア芸術祭アニメーション部門で優秀賞受賞、2007年に審査委員会推薦作品に選ばれていますが、受賞後なにか変化はありましたか?

ナガタ:まず一番の変化は日本人が認めてくれるようになったということですね(笑)。昔は、飲んだくれてただ遊んでいると思われることもあって、冷たい目線で見られていたのですが、メディア芸術祭での受賞後はみんなが優しくなったというか(笑)。野良犬から血統書付きのブランド犬になったみたいです。

モンノ:海外の賞を取ったときは、みんなポカーンとしてて。でも文化庁メディア芸術祭で入賞してからは、まわりは私たちが遊んでいるわけじゃないと思ってくれるようになったので助かっています。(笑)

それはとても嬉しいことです。入賞が展示などにもつながりましたか?

ナガタ:それはあると思います。受賞後に展覧会の話もきましたし、自由にやっていいよという空気をつくってくれるようになりました。

ところで、同年代のアーティストについてお伺いしたいのですが、おふたりの学生時代の同級生はどういった活動をしていますか?

モンノ:油絵学科だったので、なかにはイラストレーターをやっている子がいたりしますね。でもやっぱり金銭的には厳しいですね。

ナガタ:僕のまわりは、映像ディレクターやWebのデザイナーなど、ほとんどがCMやPV業界にいます。

モンノ:そのなかでお互いに協力しあったり、ネットワークはとても大切ですね。

ナガタ:自分たちも含め、みんな同じだなと思います。すごく苦労しているし。アーティストになるのに王道はないというのが実感です。特に最近のアーティストはアート業界と全然ちがうところから現れているような気がします。

これまで、制作場所はどうやって確保してきていますか?

モンノ:昔は、8畳6畳ぐらいの1DKの部屋を、自宅兼オフィスとしてキツキツで使っていました。 ストップモーションだけだったら、家で模型をつくって、撮影はスタジオでやったり。

ナガタ:それと最近は、講師をしている大阪電気通信大学のスペースを使っていますね。

なるほど、大学の講師をやってみて、何か作品づくりに影響はありますか?

ナガタ:影響と言えるかどうかわからないのですが、プロデュースやマネージメント的なことが増えてきていますね。『ピカピカ』もみんなに楽しんでもらいたいと思って、そういう場をプロデュースしたことから始まったようなものですし。

モンノ:世界中の人が『ピカピカ』を楽しんでくれて、ひとつの文化になってきているのがいいよね。

本日は、興味深いお話をありがとうございました。

写真:岡本 隆史