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インタビュー/マンガ:

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優しさと残酷さを併せ持つ新たな「叙情派」の軌跡

今日 マチ子

2010年

たった1ページという制約の中で、人間が抱える微細な感情の揺れを鮮やかに浮かび上がらせるマンガ『センネン画報』。
文化庁メディア芸術祭マンガ部門で、2006年、2007年と2年連続で審査委員会推薦作品に選ばれている同作には、マンガ表現が持つ可能性が至るところに散りばめられています。
作品誕生のエピソードを通して、作者・今日マチ子さんの思考に迫りました。

通学中にスタートした1ページ新聞

元々、東京藝術大学美術学部にいらしたそうですが、そこではどんな勉強をされていたのですか?

先端芸術表現科という学科に、一期生で入りました。授業内容はまだ安定していなかったのですが、現代アート全般を学んでいましたね。ある人は絵を描き、ある人は映像をつくるといった学科でしたが、私はミニコミを作り、自費出版物を出し、また自費流通の方法をプレゼンしたりしていました。さらに『juicy fruits』という名前の、イラストエッセイ形式の1ページ新聞を描いて本屋に卸してもいましたね。

1ページのイラストエッセイというと、『センネン画報』の原型のように思えます。1ページという量に決めたことに、何か意図はあったんですか?

大学への通学時間が2時間半くらいあり、そのうち乗り換えずに電車に乗っている時間が30分くらいあったんです。その時間にできることは何か考えた結果、「1ページだったら描き切れる」と思いついたんです。

今日 マチ子『七夕のあと』

その後、マンガ家になったきっかけは何だったんでしょうか?

大学生の時に、イラストとライターの仕事を半々くらいの割合でやっていたので、その延長ですね。当時はカルチャーから教育系まで色々な仕事を受けていましたが、ライティングの仕事は、感情よりも実用性を重視するものなので、自分には不向きで辛かったんですね。もっと作家性を求めたくなり、マンガ家になったんです。

マンガ家になった当時と、今の作風はどう違うのでしょうか?

大学を卒業したての頃は、『月刊漫画ガロ』のような絵を描いていました。でも、基本的にシンプルな作風は変わっていません。当時は今よりもサブカルチャーにどっぷり浸かっていたんです。

「叙情派」の源流は寺山修司

それでは『センネン画報』についてお話を伺いたいのですが、本作は2004年からスタートした、ブログ上でほぼ毎日更新している1ページのイラストマンガですね。スタートしたきっかけは、先ほどもおっしゃっていた1ページのイラストエッセイですか?

そうですね。イラストエッセイ『juicy fruits』は200枚くらい描いて終了していました。その頃は一般の人たちがどんどんブログをはじめるようになっていた時期で、何か面白い発表の仕方ができないかと考えて出てきたのが『センネン画報』の形式でした。

『センネン画報』の初期の作品にはギャグテイストもありましたが、現在では細かい感情の動きを切り取った、ミニマルかつ叙情的な作風にシフトしていますよね。何かきっかけがあったんでしょうか?

描き続けていく中で実験を繰り返し、徐々にミニマルな部分に向かっていきました。また宮沢賢治や萩原朔太郎など、近代の文学(詩)を読み返した時期があって、その後叙情的な感じにシフトしましたね。詩といえば小学生の頃から寺山修司も好きでした。彼の描く世界観が、元々自分の中にあった感覚にピタっとハマったんです。色彩については、これまで触れてきた身の回りの自然が持つ雰囲気や色合いから影響を受けましたね。

今日 マチ子『海の風』

答えはいくつあってもいい

『センネン画報』は1ページということもあって、マンガのようでマンガではないような印象があります。もしかすると、今日マチ子さんにとってのマンガの定義は、他の人と違っているんでしょうか?

多分、そうなんだと思います。私は、登場人物の感情にせよ行動にせよ、なんらかの「動き」があればマンガと言っていいと思うんですよ。『センネン画報』は1ページですが、一番小さい単位の「振動」をしっかりと描いているので、マンガと呼んでいいのかなと思っています。

また、自分自身と対話しながら描いているので、「これでよし」と合格点を出す基準の厳しいマンガではありますね。

合格の判定基準は幾つかあると思うんですが、教えていただけますか?

あまり説明っぽくはならないようにしています。それからリズムを整えたり、作品にちょっとエロスを入れているので、生真面目なくらいの清潔感をキープするようにしていますね。

他に大事にしているのは、「作品解釈の仕方はいくらでもある」という方向性に持っていけるよう、工夫することです。

それは興味深いですね。今の時代、個人が確固たるオピニオンを提示することが求められているような気がするんですが、それとは逆の方向を目指しているんですね。

最近よく感じるのは、「人と同じではない」ことに不満を覚える人が多いな、ということなんです。あるひとつの強い意見に流されてしまったり、正解がひとつしかないと考えたり。例えば、就職に失敗したら「人生終わり」だとか。でも、私は答えはたくさんあっていいと思っていて、そのメッセージを作品に込めているんです。「青春」という言葉にしても、素敵だとか爽やかといった固定的なイメージがありますが、その裏に隠れたドロドロした感情や恥ずかしさを、自分の作品で出していきたいんです。

今日 マチ子『袖口』

表現と器、その相互関係

また、今日マチ子さんは紙とウェブ、さらにはiPhoneアプリと様々なメディアで作品を発表されていますが、それぞれの利点をどのように考えていますか?

ブログで発表している『センネン画報』は、作品の複製や転載を禁じていないんです。作品を気に入ってくれた方が、自分のブログなどに自由に転載できる、そうすると、より多くの方に作品を知ってもらえるし、その流れで、ふだんマンガをあまり読まない人が、私のマンガを読んでくれることも増えました。

また、紙メディアにも独自の魅力があると思います。ミニコミを作っていた時は、30部くらいしか作れませんでしたが、読み手の方々が強い思い入れを持って読んでくださったんです。そのため、単行本を刊行する時は、できるだけ本としての価値が高いと感じられるものにすべく、努力しています。

各メディアのフォーマットの性質について、しっかりと考えた上で描いていらっしゃるんですね。

そうですね。表現をする際に、作品を盛る「器」のことは意識します。自分の表現をするというより、ページ数や判型などのフォーマットに対して答えを用意していく、という感覚が強いです。

では、今後描いていきたい作品とは、どんなものでしょう?

自分なりの静かな描き方で、暴力的な表現や性表現にもチャレンジしていきたいと思います。そもそも『センネン画報』も、半分近くの作品は暴力的な感覚で描いているんですが、それを読み取れない人も多い。ただ、答えはたくさんあるので押しつけたくないとも思うし、伝えられないのは自分の責任でもあるんです。今後は、自分の表現したいことをさらに上手く伝えられるよう、頑張って描いていきたいと思っています。

写真提供:植本 一子
今日 マチ子『穂先』

プロフィール

今日 マチ子

KYO Machiko

日本

漫画家。東京都出身。東京藝術大学美術学部卒。セツ・モードセミナー卒。2005年「ほぼ日マンガ大賞」入賞、2006年、2007年文化庁メディア芸術祭「審査委員会推薦作品」に2年連続で選ばれる。著書に『みかこさん』(講談社)、『100番めの羊』(廣済堂出版)、『センネン画報』(太田出版)、『セキ☆ララ中学受験』(みくに出版)など。『七夕委員』(河出書房新社)が7月末に発売予定。無類の猫好き。ブログ「今日マチ子のセンネン画報」

( 2010 )