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自分の可能性を規定しないものづくり

千房 けん輔

2010年

メディアアート界の“異端児”、エキソニモのメンバーとして知られる千房けん輔さんが、林智彦、小山智彦両氏との共作『IS Parade』で平成22年度(第14回)文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門大賞を獲得! 今回のインタビューでは、Twitterのフォロワーとパレードをするというシンプルかつ時代を体現した同作の舞台裏、アートとエンターテインメントの境界線、さらに「作品を売る」ことへの独自の見解まで、興味深いお話が飛び出しました。

ソーシャルネットワーク上の関係を可視化する

まずは、今回文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門で大賞を受賞した『IS Parade』(2010)のお話から聞かせてください。

IS Parade(2010)
IS Parade(2010)© KDDI株式会社

元々のお題はauのスマートフォン「IS」シリーズのブランドコンセプト「シェア」に基づいて、Web上の知人とのつながり(ソーシャルグラフ)を使って、何か話題化するキャンペーンをやりたいということでした。当時は、Twitterが爆発的に広がり始めたころで、自分にとってもリアリティのあるメディアだったので、Twitterのフォロワーと一緒にパレードするというシンプルな企画を出し、それをさくーしゃ(小山智彦)さんに実装してもらいました。

ソーシャルネットワーク上の人と人とのつながりは、いまや現実世界とは異なる「もうひとつの世界」として形成されつつある気がします。それがみごとに視覚化されていますね。

ソーシャルネットワーク上でつながっている人たちを、シンプルにビジュアルで表現するためには、「パレード」が合うんじゃないかと考えたんです。アイコンがそれぞれの人をあらわしていて、それが俯瞰で見られればいいと思っていたので、ビジュアル的にも、Twitterのアイコンに手足を付けるだけにして、彼らがブラウザの中を歩いて行くというシンプルなものにしました。この作品の主役はTwitterアイコンで、メッセージはTwitterというソーシャルネットワークサービス自体が持っている。だから、演出的な要素は極力排除していくようにしました。

Twitterのフォロワー数によって、パレードの長さが変わるのもおもしろいですね。

だから、フォロワーが少ない人は、一瞬で終わっちゃう(笑)。最初は、1分前後でオチがつくようにした方がいいんじゃないかという議論もありました。でも、たとえばGoogleサーチで出てくる検索結果にしても、そこに出てくる情報の量によって、おもしろさが変わるわけではないですよね。今回は、あまり映像的に考えるのではなく、このサイト自体をひとつのアプリケーションとしてとらえるようにしました。フォロワーが多い著名人なんかの場合、パレードが一日中続くかもしれないですが、それはそれでおもしろいし、現実なのかなと。

世界中から反響があったそうですね。

そうですね。一時期、国別のアクセスランキングで、日本、アメリカに次いで、3位がブラジルだったんです。お国柄が見えておもしろかった(笑)。あと、韓国では、労働組合のデモの代わりにも使われていました。もちろんそれは、クライアントが想定していた反応ではないでしょうが、つくったものが普通に道具として使われるというのは、それだけ浸透したということなんだと思いました。

いかにコラボレーションワークと向き合うか?

赤岩やえさんとともに活動しているアートユニット、エキソニモはすでに今年で結成15年になりますが、今回の『IS Parade』のような仕事は、千房さんにとってどういう位置付けのものになるのですか?

こうしたWebキャンペーンの企画やディレクションは、僕個人の仕事としてやっています。これまでにも、街頭とWebサイトを連動させた『BIG SHADOW』(06)などに参加しています。こうした仕事では、飛び道具的なアイデアを求められがちですね(笑)。企画が通ればディレクションもしますが、表現やテクニカルの部分はタッチしないことも多いです。

『BIG SHADOW』(2006)
『BIG SHADOW』(2006)
主人公の影がドラゴンとなり敵と戦うゲームのPRとして「自分の影で遊ぶ」インタラクティブな屋外広告を制作。
ネット上からもその巨大な「影」をキーボードで操作可能にした。
©BIRD STUDIO/MISTWALKER,INC. / Microsoft Corporation.

これらの仕事では、多くのスタッフとコラボレーションしながら進めていくことも多そうですね。

そうですね。実は、共同作業はあまり得意ではないんです(笑)。たとえば、徹夜してデザインしてくれた人に対して、さらに「ここを直してくれ」とか指示をするのは本当に苦手。僕がこういう仕事で気をつけているのは、最初に思いついたアイデアのおもしろさや企画の軸がブレないように最低限守るということくらいです。そこさえクリアできれば、多くの人が関わってくることで作品が良い方向に変わっていくことはアリだなと思っています。

個人の仕事の場合、発想のアプローチは、エキソニモでの作品制作とは異なるのですか?

アイデアというのは、自分の歩んできた人生の経験などから出てくるものなので、そういう意味では共通しています。ただ、どういう種類のアイデアを、どこに出していくかという部分はまったく違いますね。エキソニモでやっていることは、自分たちの問題意識をもとにまだ価値の定まっていないものにチャレンジして、世の中にない体験をつくっていくということ。いっぽうで広告などの仕事の場合、すでにテーマやターゲットが決まっているので、他人の問題を解決していくものという意識でとらえています。

ちなみに、エキソニモでの千房さんの立ち位置は?

簡単に言うと、左脳担当(笑)。僕の方で、「こういうことをやったらいいんじゃないか」ということをいろいろ考えながら、デモをつくったりします。でも、それを赤岩に見せたときに、「つまらない」とバッサリ斬られて終わることも多い(笑)。赤岩のジャッジはかなり直感的なのですが、自分なりのものさしがちゃんとあって、エキソニモの作品がアート的な方面に向かう理由は、そこにあるのかもと思っています。

「アート」と「エンターテインメント」の接続回路の違い

アート活動と広告の仕事を並行してやっていくことにジレンマを感じることはありませんか?

それはないですね。要は自分の能力をどう使うかということだけだと思っています。それをアートの回路に接続するか、また別の回路に接続するかの違いだけ。それぞれがまったく違う刺激なので、並行してやっていることはむしろおもしろいですね。エキソニモではこぼれ落ちてしまったアイデアが、個人の仕事で生かされるということもありますよ。

今回『IS Parade』はエンターテインメント部門での受賞となりましたが、こうした作品とエキソニモでつくっているアート作品の接続回路はどう違うのですか?

アートでは、「いまおもしろいもの」をやってもあまり意味がないんです。それはエンターテインメントの役割だから。たとえば、いまは携帯電話が人々にとって、一番身近な秘書のような役割を持っていて、そこには個人のアイデンティティが宿っていますよね。その携帯電話の上で、何かおもしろい体験をつくるというのはエンターテインメントの領域。いっぽうでエキソニモの場合は、携帯そのものに思い入れを持っているという人間の根本的な部分に何かを投げかけるということを表現にしていくんです。

第14回文化庁メディア芸術祭での『IS Parade』展示会場にて
第14回文化庁メディア芸術祭での『IS Parade』展示会場にて。左から、小山智彦さん、林智彦さん、千房けん輔さん。

たとえば、『IS Parade』で使われていたTwitterというメディアがエキソニモの作品に取り込まれる場合、距離の取り方は変わってくるのでしょうか?

以前『ゴットは、存在する。』という作品シリーズをやったときに、Twitterを使ったんですが、それはTwitterを「神」で検索した結果の「神」という単語を「ゴット」に置換して見せていくというものでした。そうすると現実から少しズレた「ゴット」のいる世界が立ち上がってくるのです。そういうアクロバティックな使い方をしました。
でも、去年は僕自身Twitterにドップリ浸かりすぎていたので、最近はあえて距離を置くようにしています。Twitterをやっていると、そこで手に入る情報の割合がどんどん大きくなってくるんです。たとえば僕の場合だったら、アートやデザイン、インターネットに興味が強いクラスタの情報ばかり集まってしまって、気づかないうちに毒されてしまうところがある。だから最近は、もっと自分だけの世界を濃くしていこうかなと思っています。

これまでも既存メディアに対して、ある種の批評的な態度を取ることで、作品をつくり出してきた部分が、エキソニモには少なからずあるように感じます。

そう思います。だから、次のエキソニモの作品では、Twitterなどで共有していくという方向性とは逆のものをやる可能性が高いと思います。

「作品を売る」というコミュニケーション

千房さん個人の活動としては、AAAAAAAAAA(エイテン)という新プロジェクトもスタートしていますね。

去年、イギリスにいる岸本高由さんと一緒に立ち上げて、最初のプロジェクトとして、『IZONN』(10)というUstreamの課金プラットフォームシステムをつくりました。広告の仕事というのは、その都度アイデアを出して、それが実施されても3ヶ月くらいで終わってしまうものがほとんどなんです。だから、エイテンでは、継続させていけるアイデアやWebサービスをつくっていくということをやっていきたい。ただおもしろいものをつくるだけなら、すでにエキソニモでもやっているので、ビジネスとして成立させていくことも意識しています。

エキソニモに関しては、「作品を売る」ということをどのように考えていますか? Googleのトップページを絵画にした『A web page』(04)が、Google社に購入されたこともありましたよね。

『A web page』(2004)
『A web page』(2004) 誰もが知る「あるウェブページ」を絵画にした作品。これを美術館に展示し、Webカメラで再度ネット空間に送信する試みが行われた。最終的にこの絵画はグーグル社に購入された。

たとえば、この『A web page』にしても、絵画が購入されるまでのプロセスを『Natural Process』(04)という作品にしているのですが、そういう「モノが売れる」という循環のおもしろさはあるけど、戦略的に作品を売っていくことを考えたりする努力は一切していません(笑)。日本はアートマーケットが成熟していないし、特に僕らがやっているようなことは、モノとして売りにくいところもある。売ることを目的にアートをやろうとするのはどうなのかなと思います。

ただ、最近のエキソニモは、『Joiner』(10)などのiPhoneアプリや、実際にTシャツを購入できる『EXONEMO ANTIBOT T-SHIRTS』(09)、『Wearable Web』(10)などの作品をつくっていますよね。

『Wearable Web』(2010)
『Wearable Web』(2010) 「Webは、着れる。」をキーワードに、すべてのウェブサイト上の画像をTシャツ化可能にした試み。ブックマークレットの仕組みを使い、確信犯的にシンプルな手順で、ユーザーが任意のサイトの画像からTシャツをつくれる。さらに実際の購入も可能。

それで食べていくかどうかは別として、作品を売るということには、ひとつのリアリティがあるんです。美術館で作品を観てもらうだけよりも人を巻き込みやすいし、より近い距離でのコミュニケーションができる。もちろん、売れてくれることはうれしいですが、あくまでもお金を得るためではなく、モノを買うという行為までを組み込むことで初めて作品として成立するようなものをつくっているんです。

広告などの仕事と上手くすみ分けができているからこそ、エキソニモではよりコンセプチュアルな表現を突き詰めていけるところがありそうですね。

そうですね。僕は、アーティストはアートだけをやることが美徳とされる風潮がよくわからないんです。人間には、それぞれいろいろな能力や可能性があるはずで、それを切り売りすることはまったく否定しないし、むしろ全部使ってしまった方がいいと思うんです。過去の人が決めたアーティスト像に縛られる必要はないし、バラバラの人格で自分が構成されていることを受け入れないともったいない。分人主義と言う考え方があるのですが、それが感覚的に近いです。いろんなことをやっていても最終的には、自分の能力がうまく機能している部分だけが自然に残っていくはずですからね。自分で自分を規定しないこと。僕がコンピューターを作品に取り入れているのも、自分が決めた枠からはみ出してしまうランダム性をプログラムできるからです。制御ができなくなる瞬間が一番おもしろいんですよね。

写真(ポートレート):大槻 正敏