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インタビュー/アニメーション:

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マイブリッジへと繋がる糸

山村 浩二

2010年

アニメーションは滑り台にたとえられるかもしれない。
一段一段、階段を登るように丹念に描かれた何万もの原画は、映写機という魔法の道具により「継ぎ目のない滑らかな動き」として知覚される。それは一瞬でも猛烈な快楽を感じるため、人は階段を登っては滑る行為を繰り返すのだ。
そんな動く絵の魅力にとらわれたひとりが、ほかならぬ山村浩二である。このたび、まもなく完成予定の新作『マイブリッジの糸』や、これまでの歩みについて、そして海外を含め数々の映画祭に参加してきた所感、いまの日本アニメーション界についての思いなどをお伺いした。

「動く絵」に惹かれてアニメーション作家の道へ

今回のインタビューに臨むにあたり、山村さんの作品を大学の卒業制作から最近作まで改めて拝見しました。また、ご著書『アニメーションの世界へようこそ』を拝読し、山村さんの作品がアニメーションだけではなく“動く絵”そのものへの飽くなき興味からつくられていると感じました。それはタイトルを伺うだけでも想像力をかき立ててくれる新作『マイブリッジの糸』まで続いているように感じます。

僕たちの世代は、小さいころからテレビで動く映像を観ることができました。僕は絵を描くことが好きだったので、アニメーションへの興味と結びつきやすかったんでしょうね。子どものころ、テレビアニメとそのキャラクターが印刷されたメンコを見て、なぜこれが動いて見えるのかと、両者の繋がりに疑問を持っていたんです。そのころから感じている、絵が動くことへの興味が、アニメーションをつくる原動力になっているんだと思います。今回取り組んでいる新作『マイブリッジの糸』も、アニメーションについてのアニメーション、メタアニメーション的な意味合いも強いと思います。

学生のころから、アニメーションの制作に取り組んでいらっしゃったのでしょうか?

そうですね。中学生のころに初めてコマ撮りを試みたのですが、撮影した自分の原画が動くのを見て、アニメーションは意識的にコントロールできるものでありつつ、自分の精神や環境などが映像に記録される生々しさに興奮した記憶があります。

東京造形大学では、創作活動全般を広く経験するためと、現代美術が活発になっていた当時の状況もあり、いろいろなことができそうだと油絵の学科に所属していました。大学には自由な雰囲気が流れていて、海外のアニメーション作品もずいぶん観ることができ、NFB*1やロシアのスタジオでつくられた作品に大いに影響されましたね。卒業制作で発表した『水棲』は粘土を絵の具代わりに使ったアニメーションでした。

またちょうどそのころ、岡本忠成さんというアニメーション作家のスタジオを訪問したり、教育映画、あるいは文化映画としての日本のアニメーション作品のつくられ方を見て、自分が表現したい作品をこつこつ自主制作していくというスタイルでやっていきたいと思いました。産業としてのアニメーションではないけれども、個人制作のスケールを超える広がりを持った作品を目指したかったんです。

そして大学2年生のときの広島国際アニメーションフェスティバルに始まり、その前年にはアヌシー国際アニメーション映画祭に応募したりと、映画祭への出品が当面の目標になっていました。『水棲』は、広島の第2回目のコンペで上映されました。現在仲良くさせていただいている海外の作家とも、このころに知り合い始めたんです。ブラザーズ・クエイやヤン・シュヴァンクマイエルといった注目すべき作家が日本に知られ始めるのも、このころでしたね。

© 2011 National Film Board of Canada / NHK / Polygon Pictures

映画祭という場所は非常に魅力的だと思いますが、山村さんにとってどのようなところなのでしょうか。

映画祭はいろいろな作家との出会いの場でもあり、新しい作品やホットな情報を得られる場所だと思います。新しい作品から受ける刺激が自分の創作に大きな影響を与えるのはもちろん、自分の視野を広げるきっかけにもなっています。短編アニメーションの映画祭というのは本当にフランクな空間で、格式張ったところがなく居心地がいいんですよ。オタワ国際アニメーション映画祭は最も足を運んでいる映画祭のひとつで、今年は僕の職場である東京藝術大学が学校賞をいただきました。ワークショップやパーティなど、よき交流の場なんですね。ザグレブ国際アニメーション映画祭も好きです。歴史のある映画祭ですし、作品のセレクションがすばらしい。会場がひとつの劇場にまとまっているので、作家との出会いも多いんです。今年、ここでも藝大が最優秀学校賞を受賞しました。広島国際アニメーションフェスティバルも、海外の映画祭のようなリラックスした雰囲気を感じることができるフェスティバルですね。ほかにも、小さな映画祭でたくさんの思い出があります。映画祭は自分の作品の尺度となって、成長するきっかけをもらえる場所です。

マイブリッジへと繋がる糸

山村さんにとって重要な作品のひとつであろう『頭山』は、アヌシー国際アニメーション映画祭、ザグレブ国際アニメーション映画祭、広島国際アニメーションフェスティバルなどでグランプリに輝いている作品ですが、その前につくられた『バベルの本』という短編がありますね。この作品は『頭山』と密接に関わっているように感じるのですが、いかがですか。

そうですね。『バベルの本』は、小説家ホルヘ・ルイス・ボルヘスの『幻獣辞典』という作品を、子ども向けのアニメーションにするという企画を立てたことがあって、それをベースに作品化してみようと思いできた作品です。

あのお話に出てくる、入れ子構造になった本の世界は、『頭山』と通じていますよね。

『バベルの本』と『頭山』までは5、6年ほど時期が空いているのですが、気持ちのなかでは直結しています。『頭山』の企画を立て始めたのは、『バベルの本』が完成した1995年なのですが、完全なる自主制作で自分の発想を思い切り詰め込みたいという気持ちがありました。ただ、公開の予定もないまま、仕事の合い間に制作していたので、完成まで6年もかかってしまったわけなんです。

『頭山』の制作、公開の以前と以後で、山村さんに変化は訪れましたか?

自分のスタンスそのものは変わっていませんが、僕のやりたい世界を広く理解していただけたのはいいことだったと思っています。とはいえ、その後新作をすんなりと進められたわけではないんです。
実は新作『マイブリッジの糸』は、『頭山』の完成直後から構想していました。ですが、『マイブリッジの糸』の予算の都合がなかなかつかなかったので、気持ちを切り替えて『年をとった鰐』の制作にいったんシフトしたんです。
この『年をとった鰐』は、純粋に観て楽しんでほしいという思いでつくりました。絵本の挿絵の世界ですので、すべて2Dのドローイングにしたんです。実験映画のようにハードルを高くするのも違うなと思い、だからといって商業主義に傾きすぎても物足りない。20代のころから、この両方の面がうまく合わさった、楽しめる映画をつくりたいという気持ちがありましたね。

その後『Fig(無花果)』を経て『カフカ 田舎医者』を制作されますね。フランツ・カフカ自身もイラストをときどき描いていました。また彼の作品群は重くて不条理な面もありますが、スラップスティックなアクションにも満ちていて、アニメーション的な要素がとてもありますよね。山村さんがカフカを素材にされると伺ったときは胸が躍りました。

『カフカ 田舎医者』は21分の作品ですが、制作期間は約1年2カ月とかなりタイトなスケジュールだったので、相当追いつめられましたね。ある映画祭のコンペで、カフカを愛読されている審査員の方が「これこそカフカだ」と推してくださったそうで、最終的にグランプリを受賞することができました。そのエピソードをあとから聞いて、大変うれしかったです。またカフカの母国チェコの映画祭でも好評だったので、ありがたいです。

そして『こどもの形而上学』を制作し、いよいよ今回の新作『マイブリッジの糸』となるわけですね。

エドワード・マイブリッジ*2の名前を聞いて、ピンと来ない人の方が圧倒的に多いと思うんです。だからマイブリッジの伝記的な要素も取り込み、彼のことをまったく知らない人にもおもしろく観ていただけるよう努力しています。
アニメーターにとっては、マイブリッジの分解写真はまさに作画の教科書で、いまでもみなさん参考にしています。そして、何人もの作家がすでにマイブリッジの写真をモチーフに、たくさんの作品をつくっています。ただ、マイブリッジそのものは作品の柱ではなく、伏線のひとつなんですけれども。いまは制作中ですので、あまり多くを語らないようにしますが(笑)。

アニメーション界をさらに盛り上げるために

山村さんは自作の劇場公開時に、世界のアニメーションの傑作・名作もともに上映されていますね。ご自身のWebサイト*3でも、さまざまな作品を紹介されています。

山村: アニメーションの魅力を啓蒙すべきだということをだんだん意識するようになり、結果、創作と平行して作品の紹介も行うようになっていったんです。ある意味、自分の創作の秘密をさらしてしまう行為でもあるのですが、僕自身がそれらの作品から多大な恩恵をうけた上でいまの自分があると考えているので、その作品たちをもっともっといろんな方に知ってもらいたいですね。やっぱり最低限知っていてほしいと思う作家がいて、彼らについての知識を共有した上で、それらへの批評を言語化していかないと、魅力を伝えようがないと強く感じているんです。
デジタルネットワークが発達して情報は手に入りやすくなっても、情報という点と点を結びつけるための知識を持っていることが重要ですよね。興味の範囲内の情報だけがあればいいという風潮がありますが、それではもったいないと思います。メディアやジャンルというものは交錯したほうがおもしろいし、そうすることで、それぞれが豊かになるんじゃないかと思いますね。

© 2011 National Film Board of Canada / NHK / Polygon Pictures

改めてお伺いしますが、山村さんはいまの日本のアニメーション界について、どんなことを感じていらっしゃいますか?

2年前から東京藝術大学で教え始めて、若い人たちと長く時間を過ごすようになりました。その上で、若い人が作品をつくるために、まだまだ環境の整備をすることが必要だと感じています。学校以外にはほとんど制作する場がないですし、助成金制度も必要です。才能があっても作品を継続してつくることが難しい状況は、僕の若いころからずっと変わっていませんから。若い人の力を活かしきれないのはもったいないです。
たとえば、カナダのNFBのような組織が日本にもできればいいなと思いますね。制作、配給、上映、そして保管と企画までできる組織です。きちんとした専門家がとりあえず10人ぐらいいて、スペースを持てる予算があれば不可能ではないと思いますよ。そこに行けば毎月作品が観ることができて、そこで毎年新作短編が制作され、世界に配給されるようなことになれば、日本のアニメーションの力をアピールできる場所になると思います。

アニメーション界をさらに盛り上げるために、文化庁メディア芸術祭も一役買うことができるかもしれません。

そうですね。文化庁メディア芸術祭には私もずいぶんお世話になりましたが、かなり広範囲の作品をターゲットにしているのがいいところでもあり、難しいところでもあると思います。観客は、プロもアマチュアも同じステージに立っているコンペ受賞作を見ることができるという大きなメリットがある。ただ審査に携わったこともある身としては、審査基準を定めることが非常に難しいという実感も持っています。とはいえ、メディアが混在していくこと自体はとてもおもしろいことなので、今後は映画や音楽などといったジャンルも取り上げて、より豊かな芸術祭になっていってほしいと思います。

取材・文:澤隆志
写真:菱沼勇夫
*1 NFBカナダ国立映画製作庁(National Film Board of Canada)、通称NFB。1970年代に黄金期を迎えたアニメーションスタジオで、ノーマン・マクラレン、ジョージ・ダニング、コ・ホードマン、イシュ・パテルなどの作家が制作を行った。
*2 エドワード・マイブリッジイギリス出身の写真家。走り抜ける馬を1/1000秒程度のシャッター・スピードで連続撮影することに成功するなど、映画の発明に寄与したことで知られる。
*3 山村浩二さんWebサイト Yamamura Animation

プロフィール

山村 浩二

YAMAMURA Koji

日本

1964年名古屋市生まれ。東京造形大学絵画科卒業。1993年ヤマムラアニメーション(有)設立。東京藝術大学大学院映像研究科アニメーション専攻教授。代表作『頭山』は、第75回アカデミー賞短編アニメーション部門正式ノミネート、平成14年度(第6回)文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞受賞。平成17年度(第9回)文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞受賞の『カフカ 田舎医者』とあわせ、アヌシー国際アニメーション映画祭、オタワ国際アニメーション映画祭、ザグレブ国際アニメーション映画祭、広島国際アニメーションフェスティバルの世界4大アニメーションフェスティバルすべてでグランプリを獲得した。ほかにも国内外の映画祭で上映、受賞多数。2005年「愛・地球博」で「ヤマムラアニメーション博物館」を出展。また自身のホームページでアニメーション批評、作品紹介を積極的に展開している。

( 2010 )